番外編みたいなもん 2015-05-14 (木) 23:41:39

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とある海軍軍人の話

今から2年くらい前の事になります。
当時、うちのムスメが中学生だったのですが、夏休みの宿題で「家族の中で第二次世界大戦にかかわった人がいたらまとめなさい」みたいなのが社会科だかの宿題で出たのです。
私自身が、そういうことを調べるの嫌いではないので、いろいろ手伝っていたのです。
身内で第二次世界大戦に出征した人は4人くらいいるのですが、まぁ私のお祖母さんが離婚してたり(笑)いろいろあって資料が散逸してる情けない一族なんでw親戚の中では遺品が比較的豊富だったある人を調べる事にしてみたのです。

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遺品がいろいろあるといっても、軍歴に関するものはあまりなく、まずはこのご位牌。
昭和17年の10月18日にソロモン海で戦死された、ということはわかりました。

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すごくわかりにくいのですが、ご位牌と一緒に保管されていた写真。
他にもあったのですが、とりあえず水兵帽にあるペンネントに「第十六駆逐隊」とあることだけは判別ができました。
ただ、この写真はまだ下士官になる前なのでセーラー服なのですが・・・

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無くなる前には下士官になっておられたようで、ご遺影は軍帽をかぶっていてペンネントが巻いてないので最後まで第十六駆逐隊にいたかどうかはこの時点ではわかりませんでした。 地元の図書館にあった戦没者名鑑をみても、最後にどの部隊にいて、どの艦に乗っていたか、ってことがわからないのですよね。
戦死広報とかにも載っていなかったそうで(現物は紛失)、この人は独身で亡くなられたので、詳細をしっている人はもう誰もいなく、唯一、甥っ子にあたる人が一人いるだけなのです。 子供の頃に親から聞いた話(70年も前の!)なので、ぶっちゃけ記憶もあいまいです。
そりゃまぁ、自分の親兄弟でもない限りはそうだろうなぁ・・
物的証拠がこれといってないなら「わたしの曽祖父は軍艦xxに乗っていた」「大叔父はゼロ戦のパイロットだった」とかいうのは怪しいと私はおもいます。
海軍軍人がみんな戦艦大和に乗っていたわけでもないでしょうし、飛行兵はゼロ戦だけ乗ってたわけでもないし、陸軍にも航空隊はあったわけで。
明確な遺品とか戦友会の資料とかあれば別ですけどね。
そういうのって「今から」さがすのが非常に困難なんだ、って初めて知りました。

0013_1.jpg 0014_1.jpg 0015_1.jpg

この人は機関兵だったらしく海軍工機学校を卒業していました。
卒業記念写真があったので、たぶんそうです。
ただ、写真と名前の一覧だけで、卒業後の部隊配属とかそういうものは載っていなかったのですよね・・・

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あとめぼしい物といえば勲章がいくつか。
勲六等をもらっているから、たぶん戦死なさったときに下士官ではあったんだろうなー?とは想像しましたが・・・

で、夏休みの宿題時点ではこのへんでギブアップ。
とりあえず戦没された日付と第十六駆逐隊ってあたりをキーワードに調べて、おそらく「駆逐艦 初風」に乗っていたのではないか?と。
「初風」を含む第十六駆逐隊は戦没された時期に南太平洋海戦でソロモン近辺に展開していますし、南太平洋海戦の寸前で米軍との小衝突とかもあったかもしれない。
戦闘詳報とかを取り寄せて調べればよかったのでしょうが、時間切れになったので、そういう前提でいったん宿題をまとめさせて、この時点ではおしまいにしていました。

ただ、それからも私の中で、この方のことが何かひっかかっていたのです。
こうやってひょんな偶然で、田舎の家にある遠い親戚の位牌を、「海軍で戦死した方だ」という御縁でちょっと調べてはみたのですが、若くして独身で亡くなられた方なので親兄弟以外は誰もこの人のことを覚えていないし、今はその人たちも一人ものこっていないのは、何かかわいそうだなぁ・・と。
せめて最後に乗っていた艦が何だったのかなぁ?くらいははっきりさせてあげたいな、って思ったのです。
ぶっちゃけ、これを調べてた直後からゲーム?アニメ?の「艦隊これくしょん」ってのが流行りだして、意識しなくても軍艦の名前をあちこちで見るようになったので、頭から離れなくなったのですよね。

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で、結局、その人の軍歴簿を取ってしまいました。
ぶっちゃけ、直系の第三親等の身内以外はとれないので、取るのにすごく苦労しました。その甥っ子にあたる人ならぎりぎり取れるので。
その人は協力的だったのですが、まずなくなった方との縁故関係を証明する必要があるので、自分の戸籍謄本をとって、親の除籍簿をとって。。。みたいなループを繰り返し、やっと必要な書類をそろえて、厚生労働省に軍歴簿のコピーをとってもらいました。
そう、普通の人はしらないかもしれませんが「海軍」という組織は行政的には「厚生労働省」が今はひきついでいるのです!ちなみに陸軍は「県庁」です。
おそらく年金だの恩給だのの関係だと想像します。
海軍や陸軍は戦争にまけたときに一回なくなっていて、そういう人事的なことはそっちに引き継がれているのですよね。
「海上自衛隊」は精神的なものや技術、装備は別として「役所」としては「海軍」とはまったく断絶してるのだそうで。むしろ「海上保安庁」のほうが直系かもしれないそうで。
厚生労働省の担当の方はとても親切で、具体的な申請方法や書類のことはとても親切におしえてくださいました。
で、三か月くらいで軍歴簿のカラーコピーと、大筋を現代語にまとめなおした書類が届きました。
ここまでたどりつくのに2年かかりました。まぁずっと継続してやっていたわけでもないし、そもそも暇をみてやり方から調べていたのでえらい遠回りしたのですが・・・
最初は軍艦の乗員名簿か戦友会、遺族会の何かを取り寄せるかコンタクトすればいい、とイージーに考えていたのですが、年月がたちすぎて当事者が全員なくなり、遺族会とか戦友会はもはやほとんどない(あってもご遺族が名目上の管理をしているだけ、、とか)し、資料などは自衛隊とかに寄贈されてればまだいいほうで、調べるにしてもめくらめっぽうに「ありそうな場所に訪問していちいち調べる」くらいしか無さそうで・・・

結論からいうと、くだんの人物は「第11駆逐隊附として駆逐艦「吹雪」に乗艦していたところ、昭和17年10月11日ガダルカナル島敵飛行場砲撃の第6戦隊直衛駆逐艦として出撃、同日午後9時45分頃ソロモン諸島サボ島付近において敵水上艦艇と交戦、同日午後10時頃、同艦沈没の際消息不明となり、10月18日をもって戦死したものと認定されております。」ということでした。
軍歴簿をみると、海軍に入隊してから「初雪」に乗艦、そして海軍工機学校を卒業してから「刈萱」に乗艦(これは第十六駆逐隊の艦艇だから、遺影のスナップはこのころの物だったのですね)、陸戦隊勤務をへて最後は第十一駆逐隊の「吹雪」に乗艦、そして戦死・・・ということだったようで。
位牌にある「昭和17年 10月18日 大東亜戦争ソロモン海戦死」と「吹雪」の撃沈の日付が違うのは、吹雪が撃沈されたその日に「戦死」と認定されたのではないが位牌には戦死と認定された日が入っていた、といことだったようで。

軍歴は徴兵ではなく自ら海軍に志願して、8年くらいつとめて四等兵から戦死する前に海軍二等機関兵曹だったのが、戦死によって一階級特進で海軍上等機関兵曹になっていたのだなぁ、とか。
それは当時の進級の速度としては、どのくらいのものだったか私には想像もつきませんが・・・

何回か恩賞金をいただいていたり、それがたぶん今のお金にしたら200〜300万円くらい・・?だったのかな?とか。
不思議なことに、第二次世界大戦開戦前の支那事変のときの恩賞金のほうが、戦死したときのそれよりも額はでかいのですよね。
インフレを考えると不思議なことです。大きな手柄があったのか、それとも開戦前のほうが特別手当的な要素があったのか・・・?
なんにせよ国のために命をささげた代価としては安いもんだったんだなぁ、当時は・・・と思ったりしました。

「吹雪」が撃沈されたとき、助かった方は250人ほどの乗組員がいた中で僅か8人!だったそうで・・・
それ以外の多くの皆さんは、日本から遠く離れた海の底で今だに眠っておられるのですね。
せめて、自分にゆかりがある人のことを私が知れて、何かの供養になれば、、、と思ったのでココに書いておこう、、、とそう思いました。

皆さんも、もし機会があればご先祖様の「軍歴」を調べてみたらいかがでしょうか?
思いがけない発見があるかもしれないですよ?

ちなみに、この調査には旧日本海軍 鶉野飛行場にまつわる郷土戦史を研究しておられる上谷先生のご協力と助言をいただきました。
わたしごときの相談のために呉から資料を取り寄せていただいたり、本当に感謝しています。
譲っていただいた呉の鎮守府の所属艦艇の戦死者名簿、年配の司令官クラスを除けばきっと20歳前後の若い人ばっかりの名前が無機質に並んだそれは気がめいるものでした。平和が一番ですね・・・


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Last-modified: 2022-08-24 (水) 09:37:48